当寺は、1253年、中国・宋の渡来僧・蘭渓道隆が開いた鎌倉五山一位。純粋禅修行道場として鎌倉幕府北の出入口の要衝の地に建ち、北条時頼はじめ執権北条家の修行禅寺となる。中国の禅寺に倣った一直線に伽藍が続く境内には塵ひとつなく、また最奥の、道隆築造による「_碧池(さんぺきいけ)」を中心とした方丈庭園ともに国史跡に指定。
〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内8
TEL:0467-22-0981
上杉家から三島大社に奉納された太刀、刀を下げる帯、金属で編む兵庫鎖。 鞘(サヤ)には、漆の上に多くの金粉を蒔き研ぎ出し、デザインを統一の揃い金具に、 銀箔を押した金メッキのつがいの鳥文様を、少し浮かび上がらせ、鍔(ツバ)には、飛ぶ鳥を透し彫り。平安・鎌倉時代に実用の太刀で、のち奉納用として製作される。 古来珍重される太刀の福岡一文字派により、銘は一。
鎌倉時代、九条道家が奈良の東大寺、興福寺の各1字を取り寺名とし創建の禅寺で、京都五山第四位。当寺の禅宗方丈庭園は異色を放つ。鎌倉期の質実剛健な風格を基調に、モダンアートの抽象的構成を取り込む現代作家、重森三玲の作庭。日本画を学び、日本庭園史を研究した三玲の庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割りが特徴。
〒605-0981 京都市東山区本町15-778
TEL:075-561-0087
「明治が鎌倉の終わり」。著者が、鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」を読みこんで作りあげた歴史小説で、後鳥羽上皇との承久の乱を幕府の勝利に導き尼将軍といわれ、後世悪妻扱いされた北条政子の実像に迫る。3年連続で頼朝、頼家、実朝と夫と二子を次々に失い一心不乱に神仏詣でをする政子の悲嘆を書き、並々ならぬ母性を描く。
永井路子 文春文庫
Tags : 史跡建長寺神奈川県鎌倉
Your email address will not be published. Required fields are marked *
Name *
Email *
Website
Comment