源頼朝は、鶴岡八幡宮を武家の精神の拠り所として、国家鎮護の神として祀った。徳川幕府の原型は、鎌倉にある。由比郷鶴岡から現在の地に移された当宮の参道は、若宮大路と呼ばれ、鎌倉の中心をほぼ南北に貫き、京の朱雀大路を模して造られた。鎌倉文化は京を意識するが、公家社会文化とは異なり、仏教や美術も武士や庶民に分かりやすい素朴で質実なものが好まれた。中国・宋や元の禅文化の影響もある。
〒248-8858 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
TEL:0467-22-0315
1853年、ペリーの黒船来航。 広重が死の直前まで制作した代表作。近景、遠景の何気ない江戸の風景を、 フカン、チョウカンの視点を駆使して斬新な構図。多版刷りの技術も工夫を重ねて風景浮世絵としての完成度は随一。 広重は来たる時代を感じ、日本の情愛ある美しさを保全した。
当寺は奈良期勝道上人の創建で開創し、鎌倉期神仏習合、山岳修行が発展。江戸期輪王寺宮が天台座主と上野寛永寺山主を兼ねた。伽藍配置が関東一大霊山の歴史を表す。当館が所蔵する熾盛光曼荼羅図。熾盛光は大日如来の仏頂上より発する偉大な智慧、その曼荼羅は天変地異や疫病の鎮静・息災を祈願する。
〒321-1494 栃木県日光市山内2300
TEL:0288-54-0531
本書は、源頼朝から始まる幕府を開く将軍は、大和朝廷では「北の有事」に備える軍事総司令官であった歴史を語る。平時の軍は、鎮守府の鎮守将軍が率い、管轄は国府。それが平安末期、木曽義仲が東の頼朝を征夷するために将軍となり、頼朝が逆転し、やがて常時の全国の警察権など権力の支配を朝廷から得て付け加えたとする。
高橋富雄 中公新書
Tags : 神奈川県鎌倉鶴岡八幡宮
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