海上の道の交流中継点としての伊予文化・伊予国を紹介する当館。松山市の天山神社北遺跡出土遺物からは、倭の五王時代の中国・漢鏡が出土。応神天皇からの河内王朝時代、風土記には畿内とともに道後温泉も記され、伊予と大和に天下った神が国を生むと伝わる3000年の歴史を誇る伊予国が、大きな存在であった歴史を示唆する。
〒791-8032 愛媛県松山市南斎院町乙67-6
TEL:089-923-8777
ミジカヨロイは、古墳の副葬品で出土し、埴輪などにも見られるモノ。 四角や三角の鉄板や革などの素材を、人間のカラダに合うように加工するコザネは、連続させて頭や胴を守るように、板を合わせ鋲で留める。蝶番(チョウツガイ)で開閉式とする。腰の部分がくびれて現存するのは主に鉄製や金銅製。 同時期には、中国北方遊牧民の騎馬兵のヨロイとかさなる、肩から打ちかけて着用する、ウチカケヨロイ、挂甲(ケイコウけ)もある。 兜の上には、2つの半球形金具を筒状金具で接続。僧侶の使うホッス(払子)のような飾りがつけられた?
Tags : 愛媛県松山市松山市考古館
メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です
名前 *
メール *
サイト
コメント