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京都 音羽山 清水寺

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京都 音羽山 清水寺

優美な起(むく)り反りの桧皮葺(ひわだぶき)寄せ棟造りは平安貴族邸の面影を伝え、清清しさを取り込んで雅。雅のはじまりは、780年征夷大将軍坂上田村麻呂が、大和国の僧・延鎮(えんちん)が夢告で開いた音羽山で延鎮と出会い観音に帰依し、蝦夷地平定後、凱旋し自邸を寄進したのが起こり。延鎮が観音を念誦し滝行した奥の院は、本堂・舞台を一望する。

本堂

〒605-0862 京都市東山区清水1-294

TEL:075-551-1234

東博百選

鉄製鋲留(ビョウドメ)短甲(タンコウ/ミジカヨロイ)と小札(コザネ)鋲留眉庇付冑(マビサシツキカブト)
古墳時代 5−6世紀 東京国立博物館蔵

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ミジカヨロイは、古墳の副葬品で出土し、埴輪などにも見られるモノ。 四角や三角の鉄板や革などの素材を、人間のカラダに合うように加工するコザネは、連続させて頭や胴を守るように、板を合わせ鋲で留める。蝶番(チョウツガイ)で開閉式とする。腰の部分がくびれて現存するのは主に鉄製や金銅製。 同時期には、中国北方遊牧民の騎馬兵のヨロイとかさなる、肩から打ちかけて着用する、ウチカケヨロイ、挂甲(ケイコウけ)もある。 兜の上には、2つの半球形金具を筒状金具で接続。僧侶の使うホッス(払子)のような飾りがつけられた?

畿内七道

土器「観音寺」銘墨書

多賀城市埋蔵文化財調査センター

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多賀城市は古墳時代、東北鉄器生産の先進地で、土器・石器から北海道を含む北方との交流が認められる地。7世紀後半成立の陸奥国の国府が置かれ、8世紀初め多賀城が造営。その際附属寺院も建立され、「観音寺」と墨書の11世紀の土器が出土し、多賀城廃寺名称の手がかりとなる。この土器は、仏教儀式に灯明皿に使用された模様。

〒985-0873 宮城県多賀城市中央2-27-1

TEL:022-368-0134

千夜千冊

平泉・衣川と京・福原

平泉・衣川と京・福原平安時代は、京都王朝中心よりむしろ地方の時代だった。続いて源頼朝が、北の平泉と西の福原の両方を蹴散らかして新たに鎌倉に幕府を築いたが、それは風水にもとづき、「武の雅」を謳う「北の平泉的なもの」と「西の福原的なもの」の統合であったのではないか。

文責:旅鶴編集室

千夜千冊

入間田宣夫
高志書院

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