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彌彦神社

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彌彦神社

新潟県弥彦村と長岡市と新潟市の境にある弥彦山。山頂からは日本海や佐渡が一望できる。登山口は彌彦神社の参道。古くから人々に親しまれた彌彦神社は、越後一宮で御祭神は天香山命。神武天皇の命を受け、この地に塩を造る技術、漁、稲作などの基礎を伝えた神。宝物殿には源義家や義経、上杉謙信、崇敬した武人の遺品が残る。

宝物殿

〒959-0323 新潟県弥彦村弥彦2887-2

TEL:0256-94-2001

東博百選

鉄製鋲留(ビョウドメ)短甲(タンコウ/ミジカヨロイ)と小札(コザネ)鋲留眉庇付冑(マビサシツキカブト)
古墳時代 5−6世紀 東京国立博物館蔵

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ミジカヨロイは、古墳の副葬品で出土し、埴輪などにも見られるモノ。 四角や三角の鉄板や革などの素材を、人間のカラダに合うように加工するコザネは、連続させて頭や胴を守るように、板を合わせ鋲で留める。蝶番(チョウツガイ)で開閉式とする。腰の部分がくびれて現存するのは主に鉄製や金銅製。 同時期には、中国北方遊牧民の騎馬兵のヨロイとかさなる、肩から打ちかけて着用する、ウチカケヨロイ、挂甲(ケイコウけ)もある。 兜の上には、2つの半球形金具を筒状金具で接続。僧侶の使うホッス(払子)のような飾りがつけられた?

畿内七道

土器「観音寺」銘墨書

多賀城市埋蔵文化財調査センター

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多賀城市は古墳時代、東北鉄器生産の先進地で、土器・石器から北海道を含む北方との交流が認められる地。7世紀後半成立の陸奥国の国府が置かれ、8世紀初め多賀城が造営。その際附属寺院も建立され、「観音寺」と墨書の11世紀の土器が出土し、多賀城廃寺名称の手がかりとなる。この土器は、仏教儀式に灯明皿に使用された模様。

〒985-0873 宮城県多賀城市中央2-27-1

TEL:022-368-0134

千夜千冊

王権の海

王権の海本書は国譲り神話を、日本列島に時代を継ぎ渡来した海人・アマの一族、アメノヒボコ集団とともに読み解く。出雲を治めたオオクニヌシ系は銅鐸を祭祀とし、新たに渡来したアメノヒボコ集団は鉄産の技能を持ち、鏡の祭祀力をもっていた。神武天皇一族と祟神天皇一族。日本の誕生にまつわる伝承は、海にはじまって大和をめざす。

文責:旅鶴編集室

千夜千冊

千田稔
角川選書

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