豊臣秀吉の伏見桃山城から伊達政宗へ受け継がれた茶室がある施設。政宗は深い思索を持ち、行動は流麗にして破格。歌会でも優れた作品を残す教養人だった。政宗の文化を引き継ぎ、伊達家は海岸沿いに、藩主達の松島遊覧の際の宿泊・接待施設、観瀾亭をつくる。その華麗なる空間で、時に移ろう海や月が愛でられ歌が詠まれた。
〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島字町内56
TEL:022-353-3355
明治11(1878)年に奈良・法隆寺から皇室に献納、第二次大戦後、国に移管された聖徳太子ゆかりの宝物300件あまりを収蔵・展示する。 ニューヨーク近代美術館新館など美術館建築も数多く手がける谷口吉生(ヨシオ 1937-)の設計、平成11(1999)年に開館。 谷口が設計で目指したもの、—静寂や、秩序や、品格のある環境を、この場所に実現すること。展示・収蔵室の箱とロビーやレストランの箱。2つの箱の建物と入口が左右にズレ、視界が抜けて、周りの自然が取り込まれる。
—当時の唐門の輝きを復元する大修理が、2020年5月に終わる。 慶長8(1603)年、豊臣秀頼の宝厳寺再興時に、京都東山の秀吉を祀る豊国廟の極楽門を移築した桧皮葺の屋根を持つ門。極彩色の彫刻と飾金具で飾ったその華麗さは、桃山様式の唐門の代表的遺構。また元々は、秀吉築城当時の大坂城本丸曲輪にかかった屋根を持つ極楽橋との指摘もある。秀吉の大坂城天守の唯一の遺構ともなる。
〒526-0124 滋賀県長浜市早崎町1664
TEL:0749-63-4410
明治時代、湖南は東西を比較してその「あいだ」に立つ意見はとらず、日本が立つべきは、国家をこえた普遍的立場を表明していったほうがいいのではないかと考えた。日本には日本文化の種があって、日本にとっての支那文化は豆腐のニガリのようなものだというのだ。
内藤湖南 講談社学術文庫
Tags : 宮城県松島茶室観瀾亭
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