各地国分寺は建立にあたっては清々しき良き地を選ぶ。8世紀中頃、信濃国国分寺、国分尼寺が建てられたのは、千曲川沿いで東山道に近い上田。信濃国分寺史跡公園や当寺の境内は清々しい。当寺は、インド牛頭天王信仰につながる「蘇民将来子孫人也」の文字を書き入れた六角形の木製護符を頒布し、遠く天平時代とかさなる。
〒386-0016 長野県上田市国分1057
TEL:0268-24-1388
世界遺産法隆寺は、松の緑が美しい矢田丘陵を背に、大和平野を見渡す斑鳩の宮(イカルガノミヤ)に接して、聖徳太子によって607年頃に創建。 斑鳩は、大和川の水運で難波とつながる都市として設計。また飛鳥と法隆寺をつなぐ太子道(筋違道スジカイミチ)は、北北西に20度ズレ、真っ直ぐに延びる道。 —川と道の豊穣を生み出すクロス(交差)。 おおいぬ座のシリウスは、太陽に次いで明るく見える星。古代ソポタミアやペルシャでは、冬至の日に、豊穣を司る水の神星、シリウスと正対する北北西に20度上に神殿都市が作られた。
当館では、発掘調査結果を通じて8世紀中頃、国分寺、国分尼寺が建てられた上田・小県(ちいさがた)地方に、人々が移住して生活をはじめた時代から、国分寺建立の奈良・平安時代まで当地の文化財等を8つのテーマで展示紹介。当尼寺の回廊跡から、日本で富本銭(ふほんせん)についで鋳造された古銭、和同開珎が出土している。信濃国府地の可能性も示す。
〒386-0016 長野県上田市国分 1125
TEL:0268-27-8706
萩原さんは写真家である。すばらしい観察力と推理力と洞察力をもって、学者が気がつかなかった仮説を提出する。日本古代からの柱と鳥の関係を示す祭のルーツを中国に追いかけて、日本のコメは中国南部のミャオ族(苗族)によってもたらされたのではないかと。
萩原秀三郎 大修館書店
Tags : 信濃国分寺千曲川史跡長野県
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