錦帯橋
錦帯橋
岩国城と城下町をつなぐ橋は、錦川の洪水でたびたび流失。三代藩主広嘉は流木等の影響を受けないアーチを構想する。その頃広嘉は明の帰化僧である独立に治療を受けていたが、彼の故郷・杭州の話から「西湖遊覧誌」の挿絵にて島づたいに架かるアーチ橋の存在を知る。木製アーチ橋の橋台を石垣で強固にし、錦川の中に小さな島(橋脚)を造ることでその構想は実現した。現在、20年周期で橋を架け替える。

〒741-0062 山口県岩国市岩国
TEL:0827-29-5116 (岩国市観光振興課 錦帯橋世界遺産推進室)








17世紀前後に西洋列強がアジア進出を目指し、東アジアが急変する中1664年に中国明朝が滅亡する。本書で紹介する朱舜水は、明朝復興の軍事支援要請で来日し、幕府の鎖国政策により目的は果たせなかったが、日本に朱子学と陽明学の歴史精神を伝えることになる。水戸光圀に影響を与え、また武士道の精神にも影響を与える。



