大正11年(1922)旧松山藩主の子孫久松定謨(さだこと)伯爵が建てたフランスルネッサンス風の別邸。摂政宮(のちの昭和天皇)がご宿泊され、その後も皇族方が度々使用されている。当時は社交の場として各界の名士が集まったという。平成23年(2011)本館と管理人舎の2棟が国の重要文化財に指定された。
〒790-0001 愛媛県松山市一番町3丁目3-7
TEL:089-921-3711
大正12(1923)年に関東大震災。明治政府のお雇い外国人、ジョサイア・コンドル(1852-1920)が設計の赤レンガ造の旧本館は被災。 旧本館にかわり、現在の本館が、渡辺仁(1887-1973)と内司寮(宮内省)設計、大林組の施工で、昭和12(1937)年竣工し、翌年開館する。 正面玄関は大階段。現代、銀行本店、裁判所他の設定で、テレビドラマやミュージックビデオでも登場する。 吹き抜けの格天井、一部は採光する屋根。大理石の手すりに、アール・デコ・スタイルの照明。大震災で被災した来館者への想いも重なる。
1888年開業日本で最初の軽便鉄道。明治時代には蒸気機関車で、ディーゼル車を経て電車になる。1895年東京で神経を病んだ夏目漱石は、旧制中学に教師として赴任。夏目漱石の小説『坊っちゃん』で、軽便鉄道時代の伊予鉄道が「マッチ箱のような汽車」と登場する。平成に当時の『坊っちゃん列車』と同形の列車が復活。
〒790-8691 愛媛県松山市湊町4-4-1
TEL:089-948-3323
明治16(1883)年、井上馨が企画し、ジョサイア・コンドルが設計し現在の東京・日比谷帝国ホテルの南にできた社交場、鹿鳴館。本書が語る鹿鳴館の系譜とは、古代の聖徳太子による若草伽藍であり、現代の吉田茂によるサンフランシスコ講和条約とその後のパーティである。その翻訳文化に日本文化の歴史がつづくと語る。
磯田光一 講談社文芸文庫
Tags : 愛媛県松山市萬翠荘
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