お知らせ:当サイトは2023年3月をもちまして、情報の更新及びお問い合わせ対応を休止しております。

唐津市菜畑遺跡

iconjalgotokyo_online

末盧館

「縄文と弥生と重なる遺跡」—非常にユニークな遺跡。 3000年〜2000年前の縄文晩期の稲作跡地の上に、2000年前の弥生時代初めの水稲栽培の跡地がある。稲の品種は中国南部と同じ。古代文明の渡来者はここにきた!唐津市南西部の国内最古級の水耕稲作遺跡である当遺跡、日本の古代文明の始まりを示す。稲は縄文時代に存在し、その晩期には水田があり、弥生時代に畦を作り区画の細部を整え効率性を高められる。そして工具を改良し、生産性を高め、環濠集落が出来て、大規模は拠点集落が出現。やがて大規模な墳丘墓が築かれ各地との交流が盛んになる。末盧館では、縄文時代から黒潮でつながりあう大陸からの稲作の発祥と伝播を、豊富な資料でわかりやすく紹介する。

末盧館

〒847-8511 唐津市菜畑字松円寺

TEL:0955-73-3673(末盧館)

東博百選

蓬莱山蒔絵袈裟箱(ケサバコ)法隆寺献納宝物(ケンノウホウモツ)
平安時代 12世紀 東京国立博物館蔵

iconjalgotokyo_online

袈裟などの衣類を運ぶ箱。仙人が金・銀の宮殿に住むと、古代中国で言われた東の海に現れる島、蓬莱山を長寿の亀や鶴と描く。 蓋(フタ)のような形のため、別の箱の身と組み合わされた。 しかし側面の松喰鶴(マツクイヅル)の向きから、もともとは単独で、衣服を入れる広蓋(ヒロブタ)や髪道具など一時入れる乱箱(ミダレバコ)のように衣類等を整理・運ぶためのものと推定される。 金粉を蒔いた後に、絵を研ぎ出す技法、研出蒔絵を、疎と密に使い分け、表現する幻想性。平安時代後期の蒔絵の名品。

畿内七道

ベンガラ塗り土器 鳥浜貝塚出土

福井県立若狭歴史博物館

iconjalgotokyo_online

ベンガラを塗った丹彩土器。高さ10.5cm。同時期に京都市の遺跡から出土した土器と酷似する。若狭三方湖に注ぐ「はす川」と「高瀬川」の合流地点である鳥浜貝塚遺跡から、約5000年前の木船や縄文漆器の逸品「赤色漆塗り櫛」が出土する。縄文前期に、高度に製作技法が発展する縄文文化のうねりがあったことを伝える。

〒917-0241 福井県小浜市遠敷2丁目104

TEL:0770-56-0525

千夜千冊

正月の来た道

正月の来た道正月の朝に汲む水を若水、若水迎えとよび不老不死を願う。奈良の二月堂のお水取りも、この若水行事であり、若狭で初水を汲んで奈良まで運ぶこともまた同じ。本書はその起源は、湖南省や江西省などの中国南部の稲作民の儀礼から派生したものではないかと推論する。また鏡餅に海老や昆布、柿や橙があるのは海彦山彦にも由来。

文責:旅鶴編集室

千夜千冊

大林太良
小学館

amazonで買う

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *