お知らせ:当サイトは2023年3月をもちまして、情報の更新及びお問い合わせ対応を休止しております。

岡山城

iconjalgotokyo_online

岡山城は令和3年6月1日~令和4年秋頃まで、大規模改修のため休館。
工事を行う際は、烏城公園(石山公園を除く)も立ち入り制限を行う予定。秀吉指導で築城し、池田藩主時代に完成した川面に映える漆黒の金烏城。江戸時代に造られた岡山後楽園が、旭川を隔てた本丸の東北対岸を土塁のごとく取り巻く。もともと秀吉がこの地に城を築かせたのは、西の毛利に向かい京・大坂を護るため。よって城の東に防御の柵はない。城に向かい弓矢・鉄砲の射程距離を延ばす意味もある巨大庭園の妙である。

旭川防柵

〒700-0823 岡山市北区丸の内2-3-1

TEL:086-225-2096

東博百選

利休 竹一重(イチジュウ)花入  銘園城寺(メイ オンジョウジ)松平直亮氏寄贈
安土桃山時代 天正18(1590)年 東京国立博物館蔵

iconjalgotokyo_online

豊臣秀吉の小田原攻めに従った利休(1522-1591)が、伊豆・韮山(ニラヤマ)の竹を取り寄せ、陣中の茶会用に作る。子・小庵(ショウアン1546-1614)の土産とする。 高さ33.4cm、太さ10.6cm、真直ぐな竹。前面に花を生きる窓に、一重切れ込む簡素な花入。大津・園城寺「弁慶の引き摺り鐘」のように、表面に、ヒワレ(干割れ)がまたある。後に小庵が、竹の割れをかけて銘とする。

畿内七道

肥前名護屋城図屏風 狩野光信筆

佐賀県立名護屋城博物館

iconjalgotokyo_online

当作品は豪壮な画風を誇る天才狩野永徳の長男で、下手右京と酷評されても深遠なる奥行きを描いた狩野光信(1565-1608)の作品。文禄・慶長の役(1591〜1598年)の拠点となった肥前名護屋には、豊臣秀吉の御座所である当城はじめ、全国から参陣した諸大名の陣屋が築かれ、桃山文化が全国に交流する端緒ともなる。当館はその歴史を紹介する。

〒847-0401 佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3

TEL:0955-82-4905

千夜千冊

秀吉の野望と誤算

秀吉の野望と誤算全国の領土紛争をめぐる私戦を禁止する「惣無事(そうぶじ)」を宣言し、天皇の意向である「叡慮(えいりょ)」により領土処分権「進止」(しんし)を得たことで秀吉の国家経営システムのシナリオは頂点に達し、朝鮮出兵で瓦解。また朝鮮出兵は陶芸技術と朱子学を残す。

文責:旅鶴編集室

千夜千冊

笠谷和比古・黒田慶一
文英堂

amazonで買う

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *